以前、f-12Cのroot化については、下の記事で紹介しましたので参考にしてください。
f-12c (v15) のルート化と端末単体でのスクリーンショット・アプリ
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ScreenShot UX |
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ScreenShot UX |
左からS51SE f-12c GS02 |
GS02(左)のいう北って・・・・ |
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GPS staus & toolの画面 私の家の緯度経度は赤で隠しました |
GPS TESTの画面 |
左から f-12c S51SE GP01 |
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左がsony ericsson mini 右がDSC-WX30 |
超小型デジカメDSC-WX30 |
sony ericsson mini |
S51SEで撮影 ホワイトバランスがちょっとダメ |
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f-12Cで簡単スクリーンショット |
さてAndroidのGooglウイジェットにマイクアイコンがあるのは知っていたが、
「音声入力は認識率が低くて使い物にならないだろう」と思っていたら・・・
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これが驚き、朗読風ではなく、自然に人に語るようにはなしてもほとんど認識する。
「これはすごいなあ 」
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ただし!条件がある。Androidの音声入力はネットにつながってないと使えない。
入力された音声データをGoogleに送ってその解析結果を送ってくるという仕組みのようだ、。
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なので高速回線と低速回線では識別にかかる時間が変わってくる。ちなみにe-mobile回線で2Mもでていれば瞬間的に近いくらい早くテキストが表示される。しかしb-mobile U300の最大300kbpsだと、しばらく待つ感じだ。しかし、U300でも十分使える。
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とても優秀なので一気に長い文章をしゃべれば待つ時間も気にならない。
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小さいsmartフォンでちまちま指で入力にするより全然楽ですな。
(smartフォンでの音声入力の威力!については別記事で紹介予定)
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使っているとわかるのだが、住所や名称を音声検索させると驚くほど正しく認識する。これはGoogleのサーバー上の「ひょとして?」やGoogle日本語変換エンジンと連動してるのかな。
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ちなみにwindows7にも音声入力機能が標準で装備されていてWindows7のものはネットにつながっていなくても使える。しかし、変換性能はGoogleに劣るようだ。
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さて、音声入力の便利さにGoogloe検索以外でも使えるか!とやってみると・だめ! トホホ
そこで、「音声エディタ」なるものをAbndroidマーケットからダウンロードした。
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「おお、なかなかいいね。ついに音声入力エディタが実用になる時代になったか!」
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しかしGmailで直接音声入力できないのでいちいちコピペがめんどくさい、
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そこであれこれ調べていると一部のスマートフォン(というか通話対応Androidマシン)ではあらゆる文字入力場面でマイクがつかえるらしい
たとえば一例を挙げれば、 auならIS05 ドコモならf-12c、e-mobileならsony ericson mini
(ネットでは au=庭 ドコモ=茸 e-mobile=芋 ついでにSoftbank=禿 と称されるようだ)
ふーむ・・・これは試す価値がありそうだ。
というわけで、私も遂にスマートフォンに手を伸ばすことになった(ただし電話は従来の携帯電話のままにしたのだが)
神奈川県相模原市のとあるドトール。そこには定年退職をしたらしき人々、隠居した商店の元店主らしき人々が日々集い会話を楽しんでいる。
ある日、飛び込んできた言葉「(あのあたりでは)朝鮮人の奴隷を使ってたじゃない」。話の前後はよくわからないが、相模原で生まれ育った人たちの昔話のようだ。
彼らの顔を見ると、ごく普通のおじさんたちであり、別段悪顔をしているわけではない。日本人同士の中では気のよい人々なのだろう。
時代の中で「そう感じ思うに至らされた」ことなのだろうけども、この今でも「朝鮮人の奴隷」という言葉がごく自然に使われ会話が進んでいくことに思想が人を鬼にもするたる思いを新たにした。
彼らとても公の場ではそうは発言しないんだろうなあと思いながら、本音において、人が人を見下し、ついには人間とも見なさず、その思いと生を収奪してきたんだろうなあと、暗澹たる思いを持つ。
具体的な人から離れ、「民族」という多分に仮象性のある枠組みから人が抽象化された上で、しかし、生きた具体的な人が、「その名」において収奪されることは、抽象化され、象徴化された言葉と論理にて評価してしまいがちな人間という生きものの「なくなり切れない原態」といっても過言ではなかろう。
「何かとして”それ”を捉える」ことを離れて認識は不可能であろうが、特定の何かとしえしか捉えられないことに陥る・ないし、それを求めてしまうことは災悪である。
論理の背景に、隠された指向性あり。ある知人との会話。
私:「韓国女優って、なんかきれいで魅力的な人がおおいなあ。」
知人:「たしかにきれいだが、性根が悪い」(fox君ね、うふ)
韓国人は常にダメな連中であることが要請されるようだ・・・
このテキストを読んでさっさと「タタミは朝鮮人だ」とか「非国民、天誅」とか
思う人も、今のご時世だと多いんだろうなあと思いつつ筆を走らせる
(あ、キーを叩くか)
んで、ついでに「だから、こういう世迷いごとをかく」とか、
ついでに、「タタミは共産党員だ」とか、ついでに、「たたみは創価学会だ」とか
ついでに、「タタミはすでに死んでいる」とか・・
まあ、要請される意味付けを存在自体としいく”論理”が飛び交うのだろう。
うふ・・私がすでに死んでいるというのは、うーん・・半分はそうかもしれない。